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12月24日

ふと気づくと、今日はクリスマスイブ。
なんの宗教心も、もちあわせていないので、店も、いつもどおり。

クリスマスには、なんの感情もわかないけれど、年末が近づくことを
考えると、毎度のことながら、しんみりと、してしまう。

さむい冬の、ただの1日だけれど、「1年のおわり」の意味は
わたしには大事で、ふりかえらず、アワアワと過ぎさった日々を
唯一思いやるような、そういう日。

画像は、実家にいる猫で、まるまる17歳。

つぎの年を越すことができるか、いつも不安に思うのだけれど
いままで、たいした病気もせず、そこに、あたりまえにいて
わたしが行くと、大げさに喜んでいるふうもなく、だけれど
かならず、そばによってきてくれる。

17年前、片手にのるくらい、小さい猫を、わたしがもらいに行った。

そのときから、わたしの心があかるいときは、ダラダラと一緒にあそび
ツライときは、その毛のなかに顔をうずめて、涙をこらえた。

いつでも、猫は猫らしく、いつもとかわらない顔をして、ただ、そこにいた。

その、あたたかな猫のカラダと、毛のふわふわは、いまもかわらず
そのことは、いつも、わたしに代えがたい、ふかい安堵のきもちを
もたらせてくれている。

何もかわることなく、あたりまえに過ぎゆくことは、特別な1日より
もっと、ずっと大事なことと、わたしは思う。

だから、つぎもそのつぎの年も、あたりまえに、ここにいてほしい、と
すこしずつ細く、軽くなっていくカラダを抱き上げ、そう願っている。

12月3日

ほぼ毎朝、3時半ころにエイヤッと起きている。
火の気のない、くらい冬の朝は、夏とは違い、とてもさみしく、さむいけれど
どこか凛とした空気をはらんでいて、そういうところが、なにより好きなところ。

このところ、日がのぼるのは、だいたい7時ちょっと前。
夏の、いきなりな感じに、ピカリではなく、じんわり、じんわりと、なんとなく
というようなふうに、空が明るくなってくる。

シンとした夜明けの空気は、神聖なきもちを毎朝運んでくれるようにおもうし
いつも、まっさらな、あたらしいきもちを、とりもどすようなかんじ。

なんの宗教心も、もちあわせていないけれど、それでも祈りたくなるような
そういう空の色。

だけれど、早起きだから「健康」というわけではなく、ものすごーく、ひどい
頭痛、肩こり、シモヤケもち。

あまりに、ひどいので、いま、家庭でできる健康食品にこっている。
ずっと前に読んだ遠藤周作さんの本(←タイトルは忘れた)で、よく効くと噂の
ハゲ薬は、まったく効果がなかったけれど、酢に大豆を2週間つけたものを
食べると、肩こり頭痛によく効いた、というようなことを書いていたのだ。

ここのところ、毎朝、家人に内緒で、8粒ほど、ポリリと食べている。
そのせいか、なんとなーく、体調がマシになったような・・・そんな気がする。

こうして、早起きから健康オタクとなり、わたしは中年へと足を踏み込んで
いくのだろうなー、と、誰も起きていない時間に、ひとり、クククと笑っている。

11月11日

すこし前にトップページをかえてみた。

画像のものは、去年の床上浸水で、ポッコリと穴があいてしまった床。
気に入っているし、店にきたこどもたちが、とにかく、ここを掘って
遊ぶのが、たのしそうで、そのまんまにしている。

今回のつれづれは、まったくちがうけれど、よく聞かれることについて。

ふるいもの、ふるい家具は、いつ入るのですか?と聞かれることが、よくある。
おおよそだけれど、週1回くらいの頻度で、なにかは仕入れる。

といっても、決まっている曜日とかではなく、ふらりと仕入れに行ったり
市場にでかけたり、なので、いつ、何が、どのくらい入るかは
わたしですらも、わからない。

ふるいものの仕入れは、宝さがしのようで、いつもワクワクするけれど
見た目より、ずっと、くるしい仕事と思う。

ふるいお家の床が、なんの予告もなしに突然、ぶすりと抜け落ちたり
2階からドドドッと落ちそうになったり、暑いし、寒いし、力仕事だし
軍手とマスクと懐中電灯は、必需品なのだ。

いい歳して、よくぞ、こんな仕事しているなー、と思うことも多々ある
けれど、ふるいものが何よりすきで、そういうことで仕事ができて、
うれしいなー、などと、できるかぎり、あかるく思うようにしている。
そうでもしないと、古さに、心が負けそうになるのだから。

ここ最近、体調が悪いので、しずかに、しずかに、家で過ごしているけれど
つぎに出会うモノは、なんだろう?と想像することは、何より、わたしのタノシミなのだ。

だからこそ、店から巣立ったものたちが、大切に思ってくれるところに、と
いつも、いつも、祈っている。

 

9月25日

ここのところ、うれしいこと、かなしいこと、たのしいこと、くやしいことが
ドサドサやってきて、こころの芯のところで、なんにも考えられなくなってしまった。

仕事だけは、当たり前にきちんと、という思いはあるのだけれど
重苦しいかんじで、この場で、うきうき、たのしいことをかいても
嘘くさい、くるしい心のまんまです。

冬空に灰色の雲がドッサリあるような、そういうかんじ。

こういうときは、何をみても、どこに行っても、うきうき話しても
自分ではない、誰かを、どこか遠くでみているような、そんなかんじ。

まあ、とうぜんながら、店でも、どこでも、よそからみた感じは
あたりまえに普通にみえているとおもうけれど。

この重苦しい気分が、どんなきっかけで、晴れるのかは、いまのところ
全然わからないのだけれど、いままでも、こういうことは、多々あったし
時期がきたら、いずれ、などと思っている。

そういう時期というのは、わたしは、むかしからあるけれど
いつまでたっても、うまい抜け方がわからないなー、などと思うと
ちょっと情けないきもちになる。

気づくと、空は高く、月夜はかがやくような深い色。

ふぬけのように、ぼんやりと生きていても、季節はうつりかわり
世界は、いつも当たり前に動いていく。

8月24日

あつい、あついー、とダラダラとクーラーなしで、さわいでいた夏もおわり。

すこし前の真夏のある日のこと。

安藤さんご家族が、いらっしゃいました。
そのとき、衣服作家の明子さんが、いつもまとっているレンテンのサロンに
目がくぎづけになりました。

ここのところ、まったく物欲もなく、着るものも適当で、ダラダラと
暑さにヘバリきっていた私の目に、キリリとした、サロン姿の明子さんは
いつも、ほんとうにそうなのだけれど、天女のよう。

さっそく、サロンのまとい方、布の織りや染めのこと、しまいかた、など
いろいろと、ゆっくりと、それはそれは、丁寧な手つきで、ほんとうに
布をいとおしむ感じ、大事に思う心を、一生懸命、伝えてくださいました。

そのあと、届けてもらったサロンを身につけると、きもちもカラダも一本の紐で
ピシリとひきしまり、ガサツな私という人間ですらも、いちおう女らしく見え、
かといって、ふだんの動きも全くさまたげず、どんなかたでも、おおらかに
包み込む、それは魔法のような衣服なのでした。

最小限のデザインの直線の布が、衣服だけではなく、いろいろなふうに使え、
かつ、それぞれの個性と魅力を最大限にひきだし、その布の命を果たす、
そのときのことまで考えられたものは、衣服では、なかなか、めぐりあわない
ものです。

そういうわけで、ここのところ、いつも、いつも身につけているサロンです。

こうして布になるまでの長い道のりから、いろいろなかたの手を経て、
ここにあるもの。

そのことを忘れず、大切に布の命をまっとうしてあげて、年寄りになっても、
ピシリとした気持ちで、日々をともに過ごせたらと思っています。

ただの布が教えてくれること。
それを大事に思うきもちは、すべてにつながる、なにかに、むかうように
思います。

衣服として表現し、その思いを、いまもこれからも伝える明子さんの姿勢に
ふかく胸をうたれた出来事でした。

7月29日

あつい、あつい夏です。
前に、この「つれづれ」で、寒いのは、ものすごく苦手、というようなことを
書いたように思うのですが、いまは、暑いのがものすごく苦手、というような
支離滅裂なことを書きそうなくらい、日々は、きびしく暑いです。

ここ、さいきんは、のんびり、ゆったりと、日々をたのしむように
暮らしています。

そのなかで、ここ最近、気づくことのなかった、当たり前のことを感じる力が
すこしだけ強くなったように思うのです。

たとえば、目の前のクスノキ森の蝉たちが、きっかり朝5時に、いっせいに
なきはじめるということ、ムスメの朝顔が、毎朝やすまず、咲きほこっているということ、
カラスの鳴き声を(オカオカオカオーと鳴くのが1羽いる !)聞きわけることができるということ、
暮れていく空の色に目をうばわれるということ。

いままで、目の前をすごいスピードで、ゆがんで過ぎていった出来事が、
いっぺんに、わーっと流れこんで、しみこむ感じ。

まいにち、まいにち、朝はどんなところにも、かわることなくやってきて、
こんなふうに、あつい日のなかですら、確実に、秋の準備をしているような空気が、
そこ、ここにあり、そんな当たり前のことが、どれくらい大事で
長くも短い人の一生のなかで、どれくらい、この平凡な日々が、かけがえのないもので、
こどもが、まだ、こどもでいられる時間が、あと、どのくらい残されているか、ということ。

ふつうの当たり前の日々は、すべてギリギリの奇跡的なバランスのなかでしかない、
ということに、気づくこと。

いま、この国で、わたしたちが、平和に当たり前に暮らしていけることの奇跡に
ただただ感謝して、つぎの世代も、そのまた、つぎの世代にも、誇れるような
平和な暮らしを守りつづけていくのが、この世にうまれおちて、生きる意味なのかも、
などと、いまは、感じています。

7月7日

「gouter」もときさんの展示がおわりました。
ものすごい雨のなか、来ていただいたかたがた、ほんとうにありがとうございました。
受注のため、今回は、ゆっくりお客さんたちとも話すことができて、のどかな感じで、
無事に終えることができました。

期間中、もときさんも、しっかり、タダで働いてくださり、ほとんど、わたしは
そのへんを、ブラブラしているだけでした。

作品は、もときさんらしく、テーマはなくても、もときの根っこのところが
どれもギューッと凝縮されていて、やはり、すきだなー、と思って、ひとり
ウキウキしてしまいました。

2日間、みっちりと一緒にいたため、もときさんのお茶用に用意したタルトを、
裏キッチンのところで盗み食い、アアーッ!!!と怒られたり、うちに泊まったので
(知らなかったけれど・・・)納戸をあけられまくったり、朝の4時ごろまで、
つきることなく、なぜか、廊下で、ふたり立ち話をしたり。

いろいろな場面で大事な話をしていたのだけれど、もう、なにがなんだか
わからないくらい、フラフラで、大事なことなのに、意味不明な感じになったり、
わたしのアッというまの眠りと、いびきを指摘されたり、家の掃除まで頼んで
してもらったり、もう、いろいろと、なにもかも異様にごちゃ混ぜで、
フラフラだったけど、なんだか、すごくたのしくて、はじめのときときは、
また違ったよい意味で緊張感のカケラもない、よいかんじの展示でした。

展示のことも、とおくから来ていただいたお客さんのことも、いつものお客さんとの
会話も、モワーッと霧がかかったように、いまはかすんで、笑えて、しあわせな感じ
で終わった2日間でした。

ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。

6月29日

先週末(24日)、開店して、まる2年の日をむかえました。
驚くほど、たくさんのかたに来ていただき、お会いできて、お話ができて、
ほんとうに、なんというか、ありがたい気持ちでいっぱいです。

開店のときのこと、まる1年をむかえた去年のこと、いろいろ、
夜、ひとりになって、そのときの気持ちと、いまの気持ちと、あわせて
しみじみと幸せにおもいました。

店をはじめるまで、わたしは、メーカーの研究所で働いていました。
日がな、顕微鏡を眺めることは、とても、たのしくて、まわりの人も
かんじがよくて、それで、こどもを産み育てつつ、12年ものあいだ、
会社には、お世話になりました。

だけれど会社勤めのあいだも、店をするー、という気持ちは、絶え間なくつづき
決意して退職するとき、ぼたぼた涙がでて、なんで辞めるのか、自分でも
わからなくなるくらい、すきな仕事でした。

アルバイトも、販売も、雑貨の仕事もしたことがない私が、ふつうの
日々の暮らしのなかで、飽きずに長く使えるモノ、大事に思ってきたモノと
ともに、たくさんの人に支えられて、つくった店なのです。

こんな右も左もわからぬ私の、一方的な思い込みで開店したのだけれど、
おんなじように思ってくれる、たくさんの人がいてくださり「まる2年」
というときを、むかえることができました。

ここで、出会えて、モノだけでなく、つながっていくもの、いろんなこと。

そういうことと、これからも出会って、ながく、そのつぎもそのつぎも、
一緒に年寄りになっていけたら、しあわせに思います。

たくさんの花、プレゼント、うれしい言葉たちをいただきました。
すべて、わたしのなかの、大事な節目として、大切にのこしていきます。
ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。

予定していたgouterの展示は、延期となりましたが、無事に退院されましたので、
7/2-3、おこないます。

もときさんも、またスタッフとして、バリバリはたらく予定です←ほんとうか?
どうぞよろしくお願いいたします。

6月13日

6月24日でまる2年をむかえます。
24日から、「感謝のきもち」としてのなにかを。
25-26日のあいだは、gouter もときさんの布もの展示(←今回は受注です)を
企画をしています。

もときさんとは、よくいろんな話をします。
いつも思うのは、もときさんは、たぶん、こどものころのまんまで、
いろいろなことをかんじとる心を、ほんとうに大事にしている、ということ。

わたし自身は、こどものころの夢みがちなこころが、歳を重ねるごとに、
現実の世界と否応なしに調和して、ずいぶん、かけ離れたところに
きてしまった、かんじがするのです。

こどものころを思うと、そのときどきの気持ち、ゆったりと、どろりと
流れていくような濃い時間、ふしぎに思ったり、大人にとっては、たいして
意味のないことだったり、どこに向けてよいのかわからない棘だったり、
そういう、いろいろをかんじとる心が、忙しい日々に追われて、薄れて、
ずいぶんと遠くにきたかんじ。

だけど、もときさんは、いまでも、その時間のなかを、どこか、
さまよっているようなところがあり、そこが彼女の最大の魅力で、
ものすごく、すきなところ、と、わたしは思っています。

2年をむかえることになり、なんだか、いろいろと、ずっと私なりに考えて、
7月から、定休日を増やすことにしました。

いまは、古物仕入→配達、雑用、経理、店番、出張、いちおうしなければならない
程度の家事、育児、こどもの行事など、たくさんのすべきことがあり、
いろんなことのすべてが、間に合わせのように、ぎりぎりで、ゆっくりと考えたり、
何かにむきあったり、かんじたり、そういう余裕も時間もなく、あわただしく、
日々が過ぎさっていきます。

そういうことが、ものすごく、こわくなったこと。
日々のスピードが、はやすぎて、ついていくことができなくなったこと。

人より、ものすごく不器用なので、いまの自分のどこを切り取っても
「中途半端」であることが許せなくなって、それで、やりたいこと、
すべきこと、おもうこと、そのことと、やるべきことのバランスがうまく
とれなくなってしまったのです。

いろいろ、ご迷惑をおかけすると思います。
ものすごくワガママなことと思います。
だけど、私なりに、サビサビと、それを支えてくれる、いろいろなひとたちを
大事に思って、このさきも、ずっとつづけていきたいと思っています。

これからも、どうぞよろしくおねがいします。

5月10日

更新も、メールもずいぶんとおくれています。
ひとりでポツポツ返信していってますので、お待ちのかたには
たいへん申し訳ないのですが、ご理解のほど、お願い申し上げます。

先月、ついに引っ越しました。
モノが極端に少なかったので、単身パック?と思われるほどの
格安料金でアッというまの引っ越しでした。

リフォーム中は、仕事のため、ほとんど見にいく時間がなく、
職人さんにまかせていたので、いたるところに、ちと違う・・・と
おもうところもあったけど、まー、それもよいかな、と思うように。

自分のうちなのに、仕事で、時間の余裕も、予算もなく、適当に決めたので、
いろんな誤算があった。

安いので業務用キッチンを入れたのは、よいのだけれど、受注生産の
ホシザキ製のガスコンロをみたときは、度肝をぬかれた。

カタログで、適当に選んだので、実際その大きさをみて、はじめて
驚愕してしまったのだ。

おそろしく大きく、火が強い←あたりまえだけれど、知らなかった・・・

ホシザキのひとが、奥さんお料理好きなんですねー、でもマンションでは
危ないので、くれぐれも気をつけてくださいね、と言った。

こわかった・・・。
2週間、麦茶しか沸かせなかった。

だけど、昨日、おそるおそる、チャーハンをつくったら、
びっくりするくらい、おいしくできた。

これは、うれしい「おまけ」だった。

ここで、一気に料理に目覚めるかもー、と思うものの、誰か、
上手な人に、ごはんを作ってもらいたいと切に思う。
「猫に小判」のコンロなのだから。

というわけで、また、引っ越し話は、今後もつづきます。
たぶん。

4月11日

去年末に、今年こそは、引っ越したいなー、なんて思っていた。
あわあわ、と忙しいなかで、たった1つの物件をみただけで、決めた今度のいえ。

いま、改装しているのだけれど、まったくの思いつきだったので、予算もなく、
名付けて「貧乏リフォーム ビフォーアフター」

あちこちの工務店をまわり、予算をいうと、その時点で、どこもまったく相手に
してくれなくなった・・・

ヨレヨレ絶望的なきもちのとき、松山で建築士をしているひとが、こころよく、
引き受けてくれることになった。

このひとは、みた感じも、ボーッとしてて、大丈夫かいな?と思ったけれど、
こんなかんじで、予算は、これだけ、といっても、全く動じることなく、
引き受けてくれた。

ただ、問題は、このいえ。
バブル後にたったマンションで、成金趣味のかたまり。
なにより嫌いなのは、玄関の大理石の床 ←画像のもの。

ほんとは古い家に住みたかったけれど、このあいだの浸水で、このあたりの
いい感じに古びた家のほとんど駄目になったこと、また浸水するのが怖いこと、
いろいろあって、ムスメの通う校区にある中古のマンションを選ぶしかなかった。

この味気ない箱のなかみが、心安らぐサビれた空間に、すこしずつ変わるさまを、
いまは、たのしみにしている。

ムスメたちの段ボール机は、もうすぐなくなると思うと、うれしくもあり、
さみしくもあり、ちょっと複雑なきもちだけれど、机を買う予定もないので、
引っ越しても、たぶん、中身はたいして変わらないんだろうなー、とおもう。

4月8日

「とっておきの雑貨と出会えるところ」という本がでた。

お客さんに買ってきてもらったら、表紙がいきなり、わたしのタカラモノの
さびれたワイヤーの物干だった。

あんまりにも、びっくりして、心臓がバクバクした。

すごく、すごく大事に使っていた、かわいい、かわいい物干。
それが、こんな晴れ舞台で、こんなふうにきれいに写真にとってもらえたことが、
ただただ、うれしくて、あとで、じんわり、うれし涙がでた。

一緒に掲載されている、ほかのお店たち。
お世話になっている店主さん、ずっと前に、ドキドキしながら行ったことが
あるところ、昔からわたしが憧れている、すてきなお店たちが出ていて、
こうして一緒にひとつの本になることが、夢のように、うれしかった。

だけれど、何度か、たのしくお話させていただいた「mousse de mousse」の
こうばたさんのところが、このあいだの地震で倒壊してしまったこと、
あの、あたたかな空間が、いまは、もうなくなってしまったこと、
それが、ほんとうに、かなしかった。

あの空間は、いまは、こうして本となって残り、また、こうばたさんが
ご本人のお人柄そのままに、訪れるひとを優しくむかえる場所を、いつか
どこかで、つくってくれること、心待ちにしている。

3月29日

うちは古ぼけた家具(什器として使用しているもの)を売っている。
だけど、はじめは売るつもりは、まったくなかった。

家具屋?になるなんて、思ってもみなかったけれど、すきだったから、
うちにも、店にも、古ぼけた家具ばっかり。

だけれど、うちにあるものは、程度が悪すぎて、限りなく「焚き物」に近い、
とくべつボロい家具ばかり。

机は、ふるい学習机の脚がグサグサに腐っていて、天板にズバッと穴が
あるもので、くさった脚をみじかく切って使っている。
整理棚は抽斗がひとつない、ネズミのかじり跡がギザギザの和箪笥だったり、
医療棚には虫食いがあったりと、とにかく、圧倒的にボロがおおい。

だけれど、木のふるい感じがだいすきだから、絶対に捨てられない。
ここまで、捨てられずにいたものだから、自分の手では、捨てられない。

ムスメたちの机にいたっては、家が狭くて置くところがないため、
わたしが仕事で使っているファイルを入れた、段ボール箱なのだ。
その狭い箱のうえを取り合って、絵を書いている気の毒なムスメたちを見ると、
クククーッと泣けてくるけれど、貧乏で、たのしいなー、と思ったりする。

画像は、毎朝食べるパン。
特別においしい、ちょっと、高価なパンは、たまにしか買わないから、
ふだんは、どこにでも売ってある食パンを食べる。

だけど、こんなふうに、だいすきな、かわいい羊の型に抜いたパンだと
食欲のうすいムスメたちも、パクパク食べてくれて、うれしい。

お皿は、毎日使う、だいすきな三谷さんの角皿だから、なおさら、
とくべつな羊パン。

ささいなことだけれど、シアワセだなー、と思う瞬間がある平凡な日々を
過ごせることを、とてもうれしくおもう。

3月15日

このあいだから、ついに体調をくずしました。
ものすごく、たくさんのメールをいただいていますので、
細々と、おうちで返信しています。

かなり遅れていますが、かならず、返信します。
お待ちいただいているかたには、大変申し訳ないのですが、
もうしばらく、お待ちくださいませ。

このところ、店は、ほとんどバイトさんにまかせっきり。
自己嫌悪の日々です。

ぐずぐずと、体調不良がつづいて、ついに嘔吐下痢に。
なので、気弱+ヨレヨレ+ムカムカの日々。

病気になると、すっかり気弱になって、たいしたことなくても、
気分が沈んで、ねたり、おきたり。
カオも髪も服もボサボサ・・・すさんだ自分をみて、さらに気は沈む。

ふだんは、あんまり相手にしてくれない夫だけれど、こういうとき、
なぜか、とてもやさしい。
わたしのことを知り尽くしているので、大げさなくらい大事にしてくれる。
そういうのが、すきな私は、しみじみうれしい。

点滴をして、ようやく、すこし食べられるようになったので、
晩ゴハンに夫が「雑炊」をつくってくれた。
あつあつのものが、空っぽの胃にはいって、しみこむかんじ。

単純だけれど、再婚して、よかったー、とオッさんのように、
おもった晩ゴハンでした。

3月6日

このあいだ、ふるい家具の配達に、gris grisのもときさんのところへ。
おんなじ四国といっても、徳島は、とてもとおい。
ムスメと、だらだら会話しながら、ようやくついた、もときさんのおうち。

うわー、うわー、と、ひとり落ち着かず、いきなり家中をうろうろしている
わたしに反して、ムスメは、お熱があってお家にいた、ふうたくんと
もときさんの旦那さんと熱心に遊んでいる・・・。

もときさんの旦那さんも、こどもたちも、見知らぬわたしたちがいても、
スーッとふつうに接してくれて、それが、とても、居心地がよかった。

ひととおり、あれやこれやと質問ぜめで、それから、すこーし落ち着いて、
あらためて、見渡して、ほんとうに、いいおうちだなー、と思った。

さんさんと入る光と陰、そのコントラストと空気の流れ、すべてが
ヒタリと心地良さそうにおさまって、ここの子になりたいわー、
と心から思うような。

画像のところは、一階の扉をあけて、すぐの土間続きの造作棚のところ。

ズラズラーと続く味わいのある、あつい木の棚に、すきな本が、ぎっしり。
うつっていないけれど、棚は画像の2倍くらいつづいていて、そこ、ここ、に
ふるいものと本が、たくさん。

そこには、たしかな生活があって、意識したような飾り気は、まったくないけれど、
すべてが、必要とされて、あたりまえに大事に使われているかんじ。

家の中は、ちいさなところまで、もときさんちのくらしに根付いたモノたちが
あるべきカタチで、気負うことなく、アチコチつまっている、なんとも魅力的な
おうちなのでした。

このつづきは、また、いつか。

2月24日

わたしがまだ小さかった頃、身体が弱い姉と私のために、両親が山のふもとに
赤い屋根のちいさな、平屋のおうちを建ててくれて、そこで暮らしていた。

どんなに暑くても、寒くても、毎朝、かわることなく、自転車の荷台に一斗缶を
くくりつけた「豆腐売り」のおじいさんがやってきて、家のちかくで鐘をならす。
そうすると、あわてて家から、ボウルと小銭をもって、豆腐を買いに走った。
鐘の音が違う日は、アサリや魚だったりすることも、あった。

卵がないときは、近所の農家のおうちに行って、分銅で計ってもらって、
持っていったカゴにいれてもらって、それから、だいじに抱えて、歩いて帰った。

ある夏は、父親に連れられて、川の急流に、ざぶんと落とされて、溺れつつ、
しぜんとカラダで泳ぎかたを覚えた。
それからは、夏になるたび、ちかくの池やダムで、家族と泳いだ。

わたしたちの洋服は、いつも、母親がお揃いで縫ってくれた。

雪の日は、急斜面をおりて、学校に通うため、長靴に藁を巻いて
滑らないように、道のはしっこを、そうっと、あるいたし、そのころは
いまより、もっと雪の日も多くて「かまくら」が作れるくらい降ったりしていた。

その暮らしは、今、あらためて考えてみると、まだ地球に寄り添った暮らしだった。
だけれど人間の知恵で、どんどん便利になり、暮らし方は、すっかり変わって
しまった。

わたしのなかの幼い頃のすべてが、そこにあるのに、わたしは全くそういう
子育ても暮らしもできないことに、ものすごい矛盾を感じてしまう。

便利さを求めた結果、ものすごいスピードで地球が壊れようとしている。
地球温暖化もそのひとつで、むかしほど、雪がふらなくなった。

だけれど、今日は、ものすごく寒くて、めずらしく、このあたりでも
ボタボタとゆきが降って、つもった。

ボタボタと落ちる雪を見ながら、あの頃のことを、ふと、思い出した。

2月14日

グリグリのもときさんとの「こどものもの展」がおわりました。
おわって、1日たっても、まったく仕事にならず、どこかぼんやりと
さまよっているようなかんじ。

私にとっても、すごく楽しみで、すごくプレッシャーの多かった企画でした。

もときさんと、はじめて会ったこと、いまでもハッキリ覚えていて、
不思議と、はじめから知っていたような、そんな感じに思うひとでした。

性格は、まったく違うけれど、流れるように、はじめから出会うのが、
決まっていたかのように、すぐに大好きになって、なんだか、
恋をしているような、電話をしていて、うだうだと話していても、
ただ、うれしかったし、うきうきと楽しい気持ち。
そんな感覚を目覚めさせてくれるような、気持ちのよいひと。

運悪く、たった一人のうちのバイトさんが、企画展中、不在だったため、
もときさんは、スタッフのごとく、一緒に汗して働いてくださいました。

企画展ギリギリまで、ふたりで悩んだり、この企画の意味を考えたり、
プレッシャーで逃げ出したい気持ちになったり。

だけれど、遠くからのお客様、ずっと、楽しみにしてくださったお客様、
来てくださった方々の目がなんだか、キラキラしていて、それで、
いつもと違うサビサビで、私にとっても、なんだか夢みたいに楽しくて、
うれしくて、そして、無事におわることができました。

来て下さったかたにも、ほんとうに言葉にできないほど、感謝の気持ちで
いっぱいです。

また、いつか、こういうカタチで、何かができること、わたしも、切に
願っています。

グリグリさんは、また後日、ご自身のhpにて「こどものもの展」を開催予定です。
この企画展の流れる空気を感じていただければ、うれしく思います。
ありがとうございました。

「こどものもの展」は、newsのところで、すこし見ることができます。

2月2日

まいにちお客様や友達と、いろいろなことを話します。
どんなにふつうにシアワセそうに見えても、やはり、それぞれの
生活があって、いろいろな出来事があったりします。

生きているかぎり、つらいことも、うれしいことも、かわるがわる
やってきて、それは、あたりまえのことなのだけれど、やはり
かなしい話を聞くと、歳のせいか、ゆるんだ涙腺からポトポト涙がでます。

とても寒い朝、ムスメたちの父親と籍をいれました。
店を始めるまえから、2年くらい、母子家庭として、過ごしました。

彼とは、もう14年の付き合いで、色々あったのだけれど、そのとき、
2人で決めて、選んだことでした。

そのときは後悔しないと、思ったけれど、やはりムスメたちのことを
わたし一人で守るのは、精神的にも肉体的にも、困難なことでした。

離婚している間、精神的にかなり不安定で、ムスメ達の前ですら、
泣くことが多い日々でした。
とてもつらいことが多かったけれど、その2年間は、わたしにとって
ほんとうに必要な時間でした。

失って、はじめて、わかったこともたくさんありました。

この2年間の不在という時間が、あとで、よい選択だったと思える
これからにつながるとよいなー、と思います。

いろいろな家庭があって、それぞれの生活があって、そのなかで、
どれが一番正しいカタチというのは、ないと思うけれど、できるだけ
誰もが悲しまないカタチで、しあわせな気持ちで、毎日を過ごせるように
と、願っています。

1月13日

このまえ、ノートでうちの間取りのことを書いたら、
たくさんのひとが、おどろいてくれた。
たしかに、ものすごく狭い。

モノがすくないので、どうにか暮らしていけてるような気がする。

モノがすくないのは、モノに対する愛情が、ふかいから、と言われる。
モノに対しては、たぶん、思い入れが、強いほうなのだろう。

だけれど、ほんとうのところは、
わたしのなかでは、ものすごく飽きっぽいところがあるからだと思う。
飽きっぽいから、ま、いいか、で連れて帰ると、ものすごくはやく、
確実に嫌になる。

そうなると、せまい空間に、好きではなくなったモノが「いる」と
いうことに耐えられなくなる。
何より、好きではなくなったモノが、それでは、あんまりかわいそうだ。

そういうことがわかっているので、間違いなく、自分が、この先ずっと
大切にしていくモノだけを、選ぶようになったに違いないと思う。

モノに関しては、ようふく(コート以外)が箪笥の抽斗2段ぶん、
クツが5足、タオル類は、画像のとおり。

画像のタオルをいれている、ブックキャビネットは、10年くらいまえ、
目の玉が飛び出るほど、高かったけれど、いまも、変わらず大事に思っている。

バスタオルも、10年前に買ったもの。
どちらも、ふつうのものよりは、高かったけれど、もう、十分に
元はとったように思う。

何かを買うときに、どこまで、責任をもって、ながく大事にしてあげるか、
ということは、日々のくらしのなかで、大事だと、わたしは思う。

ここまで書いて・・・
洋服を衝動買いしてしまうのは、もう、やめようと、たった今、
思ったのだけれど。