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12月26日

住まいについて尋ねられることが、とてもおおい。
だけれど、うち(←借家)は、とても狭い。

いちばんとおい部屋の端から端まであるいても、15歩で事がたりてしまう。
ムスメたちは「うちは、ねるところと食べるところしかないねー」という。

ぼんやりと眺めていた賃貸情報誌から、どうもうちの間取りは、
世間でいうところの「1LDK」であることがわかった。
東京に住む友達も「ほんとうに狭いね・・・」というくらいなのだ。

狭いというのは、必然的に人口密度がたかい→冷暖房費がやすい→
移動が少ない→ものが少ない→掃除しやすい、という利点もある。

さらに、食べるのも、仕事も、読書も、ゴロリもすべて一部屋で
まかなえるという利点もある。

だれけど、さすがに「ねる」部屋でムスメたちにはさまれて眠るのは、
ツラクなってきた。

それに、あの台風の床上浸水の影響は、いまもなお、満ち満ちていて、
帰宅すると、なんだか家中に下水のような匂いが漂っている・・・。

きたるべき年こそは、引っ越したいものだ。

それでも、ムスメたちが、ありとあらゆる想像力を駆使して
あるときは、その狭い家がレストランに、あるときは豪華な宮殿に、
という具合に、現実の家からは考えられないような別世界で、
遊んでいるのをソーッとみていると、もうすこし、このままでも
いいかなーなんて思ったりもする。

12月11日

トップページ、かわりました。
それから、ショップカードも。

カードの文字はオープンのときから、ずっと麻布十番「さる山」
店主の猿山さんにお願いしてます。

もじの配置とか、間合いのかんじが、とてもすきです。

ショップカードは、こんかいのもので三代目。
オープンのときはサビた枠を。
つぎは、初期伊万里のうつわ+むすめたちがくれたマメのようなタネ。

それから、こんかいは、ホッチキスです。
トップページとおんなじ。
ふるいホッチキスで、上からガシャンとおします。

こんなにかわいいものも、いまは、もう作られてないこと、
こころから残念に思う。

カードのものたち、どれも、いまは、役目をおえて、
時代を超えて、今このとき、縁があって、うちにいて・・・。

それで、今のわたしのところにいるのが、シアワセだと
思ってくれれば、うれしいなー、と思ったりします。

11月22日

メールをいただく方から、わたしはとても繊細な人間だとおもわれている
ようなところが多々あります。

そういうところもあるのかもしれないのだけれど、実際には、一日のうちでも、
こどものように、めまぐるしく気分がかわります。

たかだか、厚焼き卵がうまく巻けなかったくらいで、この世のおわりのように
沈みこみます。

だけれど、些細な出来事、たとえば、こどものチョコボールに銀のエンゼルが
出たとか、うれしい事があると、その場で、ほんとうに飛び跳ねるほど、
一日が楽しいものに、はやがわり、といった具合・・・。

画像のものは、以前日記で書いたように、悲しい思いとともに壊れてしまった
三谷さんのボウル。

こんなふうに、すこし小さくなっても、立派に成長してかえってきた息子?
のように、かわいい姿で、わたしのもとに帰ってきました。

とても、とても、嬉しくて、その日は、もう、来るお客さん、みーんなに
見せてまわったほど。

だから、その日は嬉しくて嬉しくて、とても、気分がよかった。

だけど、さいきん、とてもツライ出来事があった。
一日中、布団をかぶって寝てしまいたいくらい、ショックで悲しい出来事だった。

あまりのショックで、とつぜん耳がわるくなってしまった。
落ち込む私を心配して、子供まで、泣いている。

ココロとカラダのバランスをとるために、見事に立ち直った三谷さんの
このボウルを、用事もないのに、ここさいきん、ずっと傍において、
意味もなく、さわったり、ながめたり。

そうしていると、わたしの壊れた部分をすこしでも埋めてくれるような、
そんな気がする。

11月16日

こんなことをいうと、たいていの人に怪訝な顔をされるとおもうし、
嫌われると思うのだけれど、わたしは偏食がちな人間です。

嫌いなものが多すぎるあまり、よほど親しい人としか、一緒に食事を
できないほどで、そこを無理して食べると、高確率で具合がわるくなり、
さらに周りに迷惑をかけるので、なるべく遠慮するように心がけています。

つくられている素材を想像できないものは、まったく食することができず、
凝ったつくりのお料理は、からだが受けつけないので、安上がりだけれど、
この世の最大の不幸とまで言われています。

単純な食べ物は好きだし、大した料理もできないので、器も家族も
かわいそうといえば、ごもっとも。ゴメンナサイ。

先日、飛び降りたような気持ちで、不相応と思いつつ、赤木さんの鉢を
我が家のどんぶり鉢として、つれて帰りました。

赤木さんの漆の器を手にとるのは、これがはじめてだったけれど、
鳥肌がたつほど、ぐいぐい惹き付けられてしまった。
ひたりとした質感といい、繊細なカタチといい、ただただ、圧倒されっぱなし。

千々に乱れる心にブレーキをかけつつ、ずっとずっと、探していた鉢に
やっぱりきてもらうことにしました。

はじめに、この世でいちばんの好物、かけうどんを、お昼に作りました。
こんなものでは、もしかしたら鉢が泣くかもしれないけれど、
わたしの普段のまんまでも、受けとめてくれるような、そんな気もして。

きちんと洗って、そおっと拭いたあとは、かわいくて、意味もなく、
何度も手に取ったり、ボーッと眺めたり。
シアワセな気持ちごと、ゆっくりといただきました。

10月31日

営業を再開して、1週間がたちました。

再開にむけ、続く作業のなかで、容赦なく何度も上陸する台風、
増え続ける災害。
もう何もしたくなくなったり、店を続ける意味を考えたり、
辞めたくなったり、沈みこんだり、いろいろ。

それでも、わざわざ遠方から心配して送ってくださったmail、
まだ小さな子を預けてまで手伝ってくれた方たち、夜遅くまで
作業を手伝ってくれたお客様、おうちも大変なのに、ご家族で
作業にかけつけてくれた方たち・・・。

床が白く見えたといっては、ともに喜び、ドロドロになっても、
大雨が降っても、店の営業再開にむけて、当のわたしよりも一生懸命
復旧作業を手伝ってくれたこと。

言葉に表すことができないほど、うれしいキモチを、たくさん、たくさん
いただきました。
災害で失ってしまったモノたちのことを思う以上に、たいせつなモノを
いただいて、また、こうして、はじめることができました。

その気持ちは、忘れることのできない景色となって、今もずっと、
わたしのなかで、残っています。

本当に、ありがとうございました。

10月11日

台風のこと。

ずっと降り続く雨。
あたりが暗くなったころ、積んだ土嚢をあざわらうような勢いで、
ちいさな平屋のうちに水が入ってきました。

子供を背負って、すっかり泥水の川になってしまった、ほんとは
道だったところを、何度も何度も、その勢いに流されそうになりながら、
避難場所にむかいました。

道には、たくさんの車が浮いていていたりして、川の中のような感じ。

とぼとぼ帰ると、家も車も店も全部、容赦なく泥水に浸かっていました。

それから、とにかく家で眠れるように、もくもくと何も考えず、
ただ、ただ、続く作業に追われ、誰かと話すことさえ、つらいと
思う日もありました。

その中で、たくさんのものを、なくしました。
なくしたもの、すべてに思いを込めることすら、できない状況が続き、
どうにか家に住めるようになった頃、重苦しい喪失感が襲って
きました。

ずっと、この時代まで生き残ってきた古いものたち、作り手の思いが
こもったものの数々、思いの深い本、大好きなモノたち・・・。
わたしの手で、泥のゴミの山と化したもの、全部。

なくしたものは、とても大きく、虚しく、のしかかってきました。

たくさんの方に励まされて、ようやっと前向きな気持ちに、少しずつ
向かっています。

店の再開も、どうにか、決まりました。

たくさんの方々に、ご迷惑、ご心配をおかけしました。
復旧に、ご協力いただきました方々、心配してメールや連絡を
下さった方々・・・、本当に本当にありがとうございました。

9月29日

もうすぐ9月も終わる。
まだまだ暑いと思って空を見上げると、そこに高い空が見えて
秋がきたことを教えてくれる。

周りには秋の季節が好きという人が、とても多い。
けれど、寒さに弱い私は、秋がくると、とても悲しくなる。

すぐに日が暮れて寂しいし、寒さでちぢこまってしまう背中、
シモヤケになる足、ひもじい気持ち、冬空のどんよりとしたあの色合い。

すべてが暗い気持ちへと、向かってしまう。

そんな中、毎年、戦っているのは、こたつ問題だ。
こたつを出すか、出さないかで、毎年、深く悩んでしまう。

ただでさえ狭いうちの中で、こたつの存在は、とても大きい。
何より、あのダラリと垂れる布団が嫌だ。
その中で、ゴロリとしている自分も用無しのようで、なんだか嫌だ。

見た目はとても悪いけれど、こたつは、寒い冬、私の憩いの
場所、まさに心のよりどころ。

こたつ問題は、10月には決断しないとならない。
もう、すぐそこなのだ。

画像のものは、夏のあいだ、ずっと娘達のお昼寝布団として
活躍した、ALDINのハーフリネンのブランケット。

くったりしたダブルガーゼの肌ざわりが最高のブランケットは
こたつを出すか、出さまいかで、深く悩む、私の足もとに
今はしずかに巻き付いている。

9月11日

うちにある器は、とても少ない。
「紺屋の白袴」という言葉がピッタリな食器棚。

次に買いたいと思うものは、ずっと前から決まっているけど、
自分家には、また後でもいいか、なんて思ったり。

そんな風だから、少しずつ、よーくよーく考えた上で買い足している。

ものすごいお金持ちなら、欲しいものは、簡単にお金で買えるけれど、
私はお金持ちではないし、そんなに一度に買うと、後々の愉しみも
減ってしまうから、貧乏故のシアワセをひしひしと噛みしめている・・・

たとえ気軽に買える値段のものであっても、ものすごーく悩むし、
大切に思っている食器棚(医療棚)だからこそ、その空間を壊したくない。

どんなに良いと思うモノを持っていても、ギューッとたくさんあると、
そのモノのひとつひとつは、決して際立つ美しさを放たないと私は思う。

とはいえ、器との出会いは一期一会だから、そのタイミングをはかるのは
意外と難しい。

悩んだ末に手に入れた大切なものだから、一番感じよく見える居場所を
あれこれ考える。
そういう時間は、とてもシアワセ。

いつか使ってみたいと思っていた、赤木さんの漆のお椀。
これは、縁あって、お世話になっている静岡の hal さんにお願いしている。

今、使っているお椀は、8年前に気に入って買ったもの。
買う時に「安いから3年もたないよ」なんてお店の人に言われたけど、
ひとつ5000円で高い!と思いつつ、手に入れたもの。

今では、さすがに毛羽だって、口当たりがどうしようもなく悪くなってしまった。

いよいよ、赤木さんの漆を手にするのだー、と思うと、今から、どこに置くか考えて
ソワソワしてしまう。

こういう風に待つ時間もいいものだ、シミジミ思う。

8月29日

先日の大雨の被害では、たくさんの方から、あたたかいお言葉を
いただきました。
何といってよいのか、わからないほど、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございます。

あの時は店の周りが川のようになってしまい、信じられない風景でしたが、
土地柄、土砂災害はなく、雨がやんで、それからは、わりと早くあたりは
いつもの感じに戻りました。

今となっては、何事もなかったような感じで、それはそれで、良いこと
なのだろうけれど、私の中では、何事もなかったような雰囲気に、なぜか
調和できずに、カラダのどこかわからないところに、異物を飲み込んでしまって
いるような、そんな感覚です。

うちの周りが、そんな感じで、すっかり元の様子に戻っているのですが、
土砂災害を受けた地区の方々は、今も家に流れてきた大量の土砂を前に、
本当に本当に苦労されています。

当たり前の何もない一日一日が大切であること、家族や周りの人、それから
身の周りのもの。
決して多くないものでも、日々続く暮らしの中の当たり前に感じるものを、
きちんと認識して、まいにち暮らしていくということ、そういったことを改めて
深く考える出来事でした。

今もまだ、色んなところで、災害に苦しんでいる方たちがいて、そのことを
忘れてはいけないと思うし、その中で、自分ができること、そういう思いを
きちんとカタチにしていければ、と思います。

8月18日

最近の出来事。

小さな子供さんが、三谷さんの木の器の上にモノを落としてしまった。
お母さんが、慌てて器を元の位置に戻して、そのまますごい勢いで、
子供の手をひいて、立ち去っていった。

後でカケた器を見た時、足下がぐらぐらするくらい、悲しかった。

カケたこと、きっと、気づいていたと思う。
だから驚いて、アセってしまったのかもしれない。
置いている場所が悪かったのかもしれない。

けれど、ヒトコト「ごめんなさい」という言葉が聞きたかった。

雪深い山で木を一生懸命育てる人がいて、長い年月をかけて木は育ち、
ようやく育った頃、大切な木を切り倒して、木が出来るだけ傷つかないように
運ぶ人がいて、それから、三谷さんの魔法の手で木が器になり、はるばる、
うちの店にやって来る。

幾人もの人の手を通して、うちに来た器たち。
気に入って、大事に思ってくれるところに行って、
長く使ってほしい、という思いをこめて、私も、また送り出す。

小さな子供さんがしたことでも、親として言うべき言葉は、
そこになく、それが無性に悲しかった。

カケた器を見ると悲しくなるので、今はソッとしまってある。
もう少ししたら、取り出して、三谷さんの魔法の手で、怪我した
かわいそうな器を治してもらおうと思う。

8月5日

私がまだ小さい頃、眠る前に、いつも母親は、絵本を読んでくれた。
ずっと、ずっと、仕事をしていて、年子の私たちを育てていたし、
子育てを手伝ってもらえる人もいなかったから、恐ろしく
大変な毎日だったのだろうけど、一日の終わりには欠かさず読んでくれた。

母親は本が大好きで、初給料は広辞苑を買った話や給料のたびに
文学全集を買うような人だったから、娘の私たちにも、本は
惜しみなく与えてくれた。

それは、私にとって何より宝物のような記憶。
その頃のことを思うと、ほんわか嬉しい気持ちになる。

だから、私も可能な限り、娘たちが眠る前には、絵本を
読むようにしている。

幼い頃に読んでもらったであろう絵本は、すっかり忘れていても、
読んでいくうちに、眠っていた記憶がふいに蘇ってくる。

川の字のように並んで布団をしいて、母親が読む絵本を姉と
見入っていた頃の、わくわくした、あの気持ち。
遠い記憶の中の色合い。

そういう記憶が、どんどん大きくなっていく、うちの娘達の
どこかにも残っているといいな、と思う。

7月23日

小さな頃から、活字が大好きで、本を読むのが大好きだった。
正しく並んでいる文字を見ていると、日々の泡立つ気持ちも、
なんだか落ち着くような気がして。

そんな感じで、本ばかり読んでいたので、店をはじめるまで、
図書館に足繁く通って、読む本は1ヶ月にだいたい30冊。

読むものは、その時の気分で、いろいろ。

だからといって、今に役に立つものでも、勉強ができたわけでもなく、
それを目的に読んでいたわけでもないのだけど。

図書館に行くと、どんなにたくさん読んでも、ここにある全ての本を
読むことはできないまま、人生の終わりを迎えるんだろうな、なんて
漠然と思ったりしてた。

自分の店で、のんびり読書に励む、気ままな店主を勝手にイメージ
していたのだけど、今は、雑用に追われて、そんな時間は全くなく、
それは、それで、とても悲しい。

最近では、1ヶ月に数冊程度。

この仕事を始めて、一番心に近く、何度も何度も読み返した大好きな本は、
古道具を扱う坂田和實さんの「ひとりよがりのものさし」

私にとって、宝物のような、大切な本です。

7月16日

11日から始まった「リネン展」の様子です。
大好評で、hpでも問い合わせが多かったため、一部、ご紹介致します。

このスペースは、通常、古くて味があるモノたちが置かれていて、
ちょっと貧乏くさい感じの一角なのですが、いつもより、かわいい感じになり、
なんだか、こちらまで、ウキウキしてしまいます。

いつもは、のんびりしている店なのですが「リネン展」初日は店内がバーゲン?
というくらい混雑していましたので、色々な方にご迷惑をおかけしました。
せっかく、いらっしゃった方々には、本当に申し訳なく思っています。

大好きなリネンを使った色々なものは、一部の定番商品のみになりますが、
今後hpでの販売も企画中です。
商品の詳細については、もうしばらく、お待ちください。

個人的にも、大好きなリネンの企画は、本当に楽しかったです。
作家さんたちも、暑い中、大変だったと思いますが、また、一緒に
何かできたら、いいな、と思います。

リネン展は、19日が最終日です。
まだ、いらっしゃっていない方は、ぜひ、どうぞ。

7月10日

麻のディッシュクロスをはじめて使ったのは、8年前。
その使い心地の良さから、すっかり麻の虜になりました。

それから、ずっと、生活まわりのものは麻のものばかり。

店で麻のクロスを扱っているので、かなりの数を持ってそうに思われがちですが、
ディッシュクロスは4枚だけです。
でも、それで十分。

中には5年以上使っているものも・・・
新しいクロスが店に入ると、欲しくなったりしますが、我慢我慢。
今のものが、まだまだ使えるから。

麻は、使うほどに、くったりと手に馴染んで、とても丈夫なので、
選ぶ時、五年はずっと傍にいて欲しいものか、どうか、が私の判断基準です。

8年前のクロスは、手ヅクリが上手な人に頼んで、巾着と小さいお散歩バッグを
作ってもらいました。
カタチは変えても、まだ傍にいます。

ベッドリネンも予備は持っていないので、朝洗って、乾いたらカバーをかけて、
という具合。

少ないけれど、大事に思えるモノをずっと大切に使うことは、点々でなく、
日々の続く線を描いていくような気持ち。

というわけで、11日~のリネン展「Linen のもの、いろいろ」がとても
楽しみです。お気に入りを探しに、ぜひお越しくださいませ。

7月2日

先週、1周年を無事に迎えることができました。
朝、店に行くと既に驚くほど、たくさんの人がお祝いに来て下さっていて、
思わず涙が出そうになりました。

夕方には、ついに、こらえきれず、店で泣いてしまいました。

1年は、アッと言う間に過ぎてしまい、振り返る余裕もなかったのだけれど、
この日だけは、やっぱり特別で、大切な1日でしたから。

店をはじめて、たくさんの人に出会いました。
繰り返し、何度も来ていただき、私のキモチやカラダが弱っている時は、
自分の家族のように心配してくださり、ある時は、一緒になって泣いてくれたり、
相談にのってくれたり・・・

私が作った、つたない店と私という人間を、一緒になって育ててくれたように
思います。

この1年は長い間、抱いていた夢を実現した喜びよりも、困難やツライ事が
多かったのだけれど、励まされて、どうにか、こうにか、1年を過ごせたように
思います。

私にとっては、一生忘れられない、大切な1年となりました。
感謝の気持ちでいっぱいです。

本当に本当にありがとうございました。

6月22日

店にも家の中にも、古いものがあります。
ものすごく時代がついた高価なものはないけれど、普段に気兼ねなく使える
古い家具とか、器とか、ガラクタとか、いろいろ。

古いものは、長い間使われてきた少しヨレた感じが、新しいものにはない
魅力があり、ちょっとガタついていたり、傷がついていたりしますが、
そこがまた味わい深い感じ。

古いものと仲良く暮らすのは、とても楽しいことだけど、そのものたちが
生まれた時代のことを考えると、色々思うことがあります。

たった100年でも、どんなに今とは違った生活をしていたか、ということ。
その時代のことを思うと、何だか心がシンとしてしまいます。

今のように、なんでも簡単に手に入れることも、捨てることもできない時代。
生活の必要から生まれたであろう道具たちは、簡素だけど、とても力があって、
壊れたら、そのたびに直して、きちんと使われてきたものたち。

店を始める時に思ったのは、本当に必要な少しだけのものを、ずっと大切に
してもらいたいということ。

私が扱うものは、そんな中の一部だけど、買ってもらった人に、そういう風に
大切に思っていただければ、何より嬉しいな、と思います。

6月18日

こういう仕事をしているせいか、私自身ものすごくデリケートで
器用だと思われているところが、あります。

本当はものすごーく大雑把で、不器用なのですが。

とても恥ずかしい話ですが、料理が大嫌いで、編み物、裁縫も全くダメ、
娘達にせがまれても、折り紙もハーモニカも、ピアノも教えられないし、
ビデオの録画も、携帯電話で画像を送ることもできないのです。

しいて言うならば、洗濯、洗いもの、掃除が好きというくらい。

家では掃除がしやすいように、極力モノが少ない生活をしています。
料理は大嫌いだけど、好きな器、好きな道具を使うことは楽しみなのです。

今は、帰りも遅いので、どんな高価な器でも、本当は良くないけど、
レンジに入れたりしています。
三谷さんの木の器だけは、例外ですが・・・

外でご飯だったら、うどんでも、ワーイ!と小躍りしたくなるほど、
料理が嫌いなのです。

以前、安藤雅信さんに「皆さん器用だけど、私は何も作ったりできないんです・・・」と
ショボンとしていうと、笑いながら、「でも、子供は作ったでしょ」と言われました。

子供という私にとっての最高傑作を作ったから、もう何もできなくても、
いいんだー、と最近では開き直るようになりました。

というわけで、店では、カフェもしてますが、真面目に営業していません。
忙しいのと、面倒なので、お客さんからオーダーが入ると、やたら
「ジュースがオススメです!」と言ってます。

常連さんになると、「冷蔵庫にジュースがありますよー」とか、忙しい時は、
洗い物まで「・・・お願いします」と頼む始末なのです。

いつも、いつも、こんな調子で、ご迷惑をおかけしている皆さんゴメンナサイ。
この場で、心よりお詫び申し上げます。

6月8日

先日、硝子のコップをうっかり割ってしまいました。
7~8年くらい前に高知の骨董屋さんで見つけた、ちょっとだけ古い
何ということもないカタチの安物の硝子コップ。

割った瞬間、声も出なくて、ボーッと見てました。
特別大切にしていたわけではないけど、ずっとずっと家にあったコップ。

買った時の嬉しかったキモチ、そのコップが生まれた時代の背景、
時に埃まみれで忘れられ、時に草を摘んで生けたこと・・・。

日常生活の中で、あまり近くの存在だったり、普通のことというのは、
そこにあるのが当たり前になっているから、失ってしまって、はじめて
その重さに気づくということが私はよくあります。

病気になって、はじめて健康であった日々の大切さに気づくように。
傍にいたモノや人がいなくなって、はじめて失ったものの大きさに気づくように。

そうやって、私は当たり前の日々の中の大切さに気づかず、色んなモノを
失ってきたと思い、泣きたい思いで、1つずつ割れたカケラを集めました。

6月4日

店の窓が好きです。
むかし学校なんかにあったような古い鉄の窓枠です。
開けると重たくて、ガラガラと音がします。

この窓が大好きで、迷わず決めた物件。
ちょっと、錆びて、白いペンキが剥がれているのが、また好きな感じ。

窓ばかりなので、昼間は外から、たくさんの光が入ります。
冬は温室みたいで、夏は正直、まぶしくて暑いのですが・・・。
この窓から差し込む光は、私にとって、心地よいものです。

画像の窓は、店舗側からは見えないトイレの窓。
裏口に面していますが、店の裏のひなびた匂いのする、
この窓が実は一番気に入ってます。

5月26日

先週、大雨の中、松本と多治見に行ってきました。
16日の松本は、神々しいくらいの緑、古い町並、オイシイ空気。

「素と形」の展示を見に「松本市美術館」へ行った後、三谷龍二さんのお家と工房へ
心に染み入った思いは、言葉にならなくて
ここで、うまく説明できなくて、ごめんなさい。

言えるのは、私にとって一生忘れられないくらい、深く焼きついた一日だったということ
大切にしまっておきたい感じ。

翌日の帰り道、「多治見」の文字に、いてもたってもいらなくなって「百草」に
立ち寄りました。久しぶりでしたが、すべて百草らしい佇まいのまんま

帰り際、安藤さんがおっしゃった言葉を深く重く受け止めながら、帰りました

画像は三谷龍二さんの漆の工房です
雨の中の、浮かび上がるような感じとか、うまく伝わるといいな、と思います。

5月8日

衣替えをしていると、ペンキが付いた洋服が色々出てきました。
去年の今頃、お店の壁に一生懸命、白いペンキを塗ったこと、
ふいに思い出しました。

接客販売、経営、仕入れ・・・全部がはじめてのことで
振り返る余裕もなく、時間は過ぎていったように思います。

幼い娘達の去年の服も小さくなってて・・・。
日々成長している、という当たり前のことにすら、気づいてあげられないほど
慌しく過ぎて。

そんな日々の中、時々、自分が目指していく方向がわからなくなって、
途方にくれることも。

ペンキの付いた洋服は、あの頃、ただ、ひたむきに夢に向かってた自分を
思い出すものたち。

まだ、まだ、やりたい事、夢はたくさんあります。

そういうふうに今のことと、先のことばかり考えてきたけど、
たまには、はじめの、あの時の気持ちを思い出して、
原点に戻ったり、ゆったり過ごしてみる日があっても
いいかな、と、ペンキの付いた服たちを見てシミジミ思いました。

4月28日

サビサビをはじめて、どうにか10ヶ月が過ぎました。
13年前、まだインターネットなんて言葉すら聞いたこともない頃、
「欲しいと思うモノは、近くにはないよね・・・」と言うと、
大切に思っている友達がヒトコト。
「じゃあ、そんな店を自分でつくったら?」と、言いました。

たぶん何気なく言った言葉だったのだろうけど、私には、
運命的な言葉のように聞こえました。

ずっと、ずっと、自分がどう生きていったらいいのか、
悩んでいた答えがそこにありました。

何の取り柄もなく、飽きっぽい性格だけれど、その夢だけは持ち続けて・・・
今、こうして、サビサビにいます。

あの時の言葉がなければ、サビサビはなかったと思います。
感謝の気持ちでいっぱいです。

私の夢を支え続けてくれる、大切な家族、友達、そして、サビサビを通じて
知り合った方々、感謝しています。

本当に本当にありがとうございます。